児玉の支配力を語る上で、国内政治や裏社会の力学だけで完結させることはできません。冷戦という巨大な地政学的枠組みの中で、彼が担った特異なポジション、すなわち児玉誉士夫とCIAの関係こそが、長年アンタッチャブルとされてきた聖域でした。
2000年代以降、米情報自由化法(FOIA)に基づき米国立公文書館で機密解除されたCIA内部文書(いわゆる「ナチ・戦犯情報開示法」に基づく開示資料)によって、児玉誉士夫が米国側から極めて重要な工作員(インフォーマント/アセット)として扱われていたことが公認の事実となりました。解除資料には、児玉に関する膨大なプロファイルが存在し、彼が「情報提供者」としてだけでなく、対共産主義の秘密工作を実行する「現場の司令塔」として重用されていた経緯が記されています。
巣鴨プリズンからの不可解な早期釈放も、単なる証拠不十分ではなく、米軍情報部(G2)のチャールズ・ウィロビー少将らとの司法取引によるものだったと歴史学者の間では分析されています。釈放された児玉は、共産主義勢力の台頭を阻止するため、労働組合の左翼運動を暴力的に鎮圧する行動部隊を組織。さらに、米軍の基地建設や安全保障条約改定をめぐる騒乱の際、右翼や暴力団勢力を統率して「治安維持の裏部隊」として暗躍しました。
この日米両国の権力中枢をつなぐパイプが、最終的に破滅への引き金となったのが児玉誉士夫とロッキード事件です。米国の航空機大手ロッキード社は、自社の哨戒機P-3Cや旅客機L-1011「トライスター」を日本へ売り込むため、児玉を極秘の秘密代理人(コーポレート・エージェント)に任命しました。児玉は全日空や政界首脳、そして時の首相・田中角栄へと続く「賄賂と圧力のバイパス」を構築し、多額の工作資金をばら撒きました。米上院外交委員会多国籍企業小委員会(チャーチ委員会)での証言によりこの構造が暴かれたとき、日本中が「一人のフィクサーに国家の防衛と航空政策が牛耳られていた」という悪夢のような事実に震撼したのです。