物語の核心部を握るのが、お土産として差し出されたつづらの中身です。なぜ同じ竹籠でありながら、選んだ人間によってこれほど極端な結末の分裂が生じたのでしょうか。民俗学者の柳田国男や折口信夫が指摘した「異界訪問譚」の文脈を辿ると、お化けと宝物の違いに隠された冷徹な法則性が浮かび上がります。
民俗学において、山奥に存在する雀のお宿は「常世の国(他界)」の縮図です。外界の人間が異界を訪れて富を持ち帰るには、相手に対する絶対的な無私と敬意が求められます。おじいさんは傷ついた雀の身をただ案じ、見返りを求めずに足を運びました。彼にとって雀は「慈しむ対象」であり、手渡された小さいつづらは純粋な情愛に対する「異界からの贈与」です。一方でおばあさんは、雀を「糊を盗んだ害鳥」と見なし、舌を切るという過剰な私刑を加えながら、財宝の話を聞くや否や利得のために山へ押し入りました。彼女にとって相手は「搾取の対象」に過ぎません。
この人間の醜悪な執着を鋭利なメスで解体したのが、無頼派の文豪・太宰治です。戦時下の1945年に執筆された名作『太宰治お伽草紙』の中で、太宰はおじいさんを「世間から逃避し、孤独のなかで小鳥だけを溺愛する無気力な老人」、おばあさんを「怠惰な夫に代わって家計を支える、現実的で口うるさい苦労人」として描きました。太宰の手記や作中描写を読み解くと、舌を切られた雀は老人の現実逃避の象徴であり、お宿で繰り広げられる歓待は「孤独な老人の妄想世界」としての色合いを帯びています。おばあさんがつづらを開けた瞬間に対面した化け物たちは、長年抑圧してきた生活苦や夫への怨嗟、そして自身の心の澱が実体化したものでした。