初審での「船長無罪」の報が伝わると、日本国内の世論は前代未聞の爆発を見せました。『東京日日新聞』や『時事新報』といった新聞各紙は連日、ドレイク船長とイギリス領事裁判の理不尽さを弾劾する記事を掲載。全国各地で犠牲者の遺族を支援するための義捐金運動が巻き起こり、学生や知識人だけでなく一般民衆までが抗議集会へと押し寄せました。
歌舞伎や芝居の演目としてもノルマントン号の惨劇が取り上げられ、悲劇を語り継ぐ歌が流行するなど、日本全体が怒りと悔しさに包まれたのです。
この世論の激昂を象徴したのが、在日フランス人画家ジョルジュ・ビゴー(Georges Ferdinand Bigot)が描いた風刺画でした。ビゴーは、メンザレ号の沈没に際して命がけで乗客を救おうとするフランス人船員と、日本人を見捨てて悠々とボートで逃げ出すドレイク船長を描き分けました。そこには、「文明国」を自称してアジア諸国を見下すイギリスの二重基準(ダブルスタンダード)と偽善に対する痛烈な皮肉が込められていたのです。
当時、明治政府の外務卿(後の外務大臣)であった井上馨は、欧米列強に日本が近代化された文明国であることをアピールするため、「鹿鳴館」に代表される極端な欧化政策を推し進めていました。夜な夜な舞踏会を開き、洋装で外国高官をもてなすことで条約改正の合意を取り付けようとしていたのです。
しかし、国民が求めていたのは薄っぺらな西洋の猿真似ではなく、「命と主権が守られる対等な国家関係」でした。ノルマントン号事件における無罪判決は、井上馨の欧化外交に対する強烈な平手打ちとなり、「国辱外交」との批判が政府に集中。結果として井上の条約改正交渉は全面的な挫折に追い込まれ、井上は辞任を余儀なくされました。