彼のキャリアの原点は、日本映画界の総本山とも言える東宝株式会社での下積み時代にある。現場の熱気と商業映画の緻密な計算が交差しあう環境で、彼は企画開発から配給戦略までを一手になぞり、ヒットの法則を皮膚感覚で吸収していった。
映画プロデューサーとしての頭角を現し始めた当時から、彼の視野は国内興行収入の数字だけにとどまっていなかった。制作費の回収モデルが固定化していた当時の映像制作業界において、海外市場を見据えた予算編成とキャスティングを提案。組織の壁にぶつかりながらも、国内の若手クリエイターを次々と抜擢し、エッジの効いた作品を次々と世に送り出していった。