10歳の少年の頃、地元ケンブリッジの図書館でフェルマーの最終定理に出会い、「これを解くのは自分だ」と心に誓っていたプリンストン大学教授アンドリュー・ワイルズ。彼はリベットの証明を聞いた1986年、自宅の屋根裏部屋に閉じこもり、同僚にも秘密にしたまま単独でこの巨峰に挑み始めました。
ワイルズは岩澤理論やコリヴァギン=フラッハ法など、最先端の代数幾何の手法を総動員し、実に7年間におよぶ沈黙の研究を続けました。
そして1993年6月23日、ケンブリッジ大学アイザック・ニュートン研究所で行われた3日連続の特別講義。最終日の講義の最後、黒板に証明を書き終えたワイルズは静かに振り返り、こう言い放ちました。
「ここで終わりにしたいと思います(I think I'll stop here.)」
会場は割れんばかりの拍手と歓声に包まれ、翌日の世界各国の一般紙の1面を「数学界最大の難問が解けた」という大見出しが飾りました。しかし、ドラマはここでは終わりませんでした。
論文の査読(レフェリーチェック)の過程で、コリヴァギン=フラッハ法を用いた部分に致命的な論理の欠陥が見つかったのです。マスコミの過熱報道と数学界のプレッシャーの中、ワイルズは元教え子のリチャード・テイラーを呼び寄せ、絶望的な修復作業に取り組みます。
手記やインタビューの中でワイルズ自身が「完全に諦めかけていた」と回顧した1994年9月19日の朝、奇跡的な閃きが訪れます。かつて自分が放棄していた別の手法(岩澤理論)と欠陥のある手法を組み合わせることで、完全な証明が成立することを発見したのです。
修正された完全な論文は1995年5月、数学の最高峰学術誌『Annals of Mathematics』に掲載され、フェルマーの最終定理が証明された年は1995年として歴史に刻まれました。