中森明菜と近藤真彦の交際が公に意識され始めたのは、1985年の映画『愛・旅立ち』での共演がきっかけでした。80年代のアイドルシーンの頂点に君臨した「世紀のビッグカップル」は、音楽番組や雑誌メディアを通じて公認の仲とみなされ、ファンも世間も2人の結婚を疑いませんでした。しかし、その華やかな表舞台の裏側では、深刻な心理的摩擦とすれ違いが急速に進行していました。
1989年7月11日の夕刻、日本中に激震が走ります。近藤真彦の東京都内の自宅マンション浴室にて、中森明菜が左手首に深手を負い、血まみれの状態で倒れているのが発見されたのです。慈恵医大病院に緊急搬送された明菜は、神経や血管を縫合する6時間以上におよぶ大手術を受け、一命を取り留めました。この未曾有の事態に、マスコミ各社は騒然となり、「なぜ日本一の歌姫が恋人の部屋で自ら命を絶とうとしたのか」を巡って憶測が乱れ飛びました。
この事件の遠因として直前に報じられていたのが、同年2月に写真週刊誌が報じた近藤真彦と松田聖子のニューヨーク密会疑惑でした。家族問題や多忙なスケジュールで極限まで精神的に追い詰められていた明菜にとって、信じていた存在の背信行為は致命的な引き金となりました。事件後、公の場から姿を消した明菜が再び姿を現したのが、あの1989年12月31日の会見でした。