高校時代、徳島県立阿南工業高校のエースとして名を馳せた條辺剛氏は、1999年のドラフト2位で読売ジャイアンツに入団しました。高卒2年目の2001年には、当時の長嶋茂雄監督に抜擢され、リリーフエースとして46試合に登板。7勝13セーブという目覚ましい活躍を収め、チームの躍進を支えました。しかし、連投による右肩・右肘の故障が彼を襲います。度重なる手術とリハビリを重ねたものの本来の球威は戻らず、2005年、わずか24歳という若さで戦力外通告を受けました。
引退直後、球団関係者からのスタッフ転身などの打診もあったなかで、條辺氏が選んだのは「夫婦で一から飲食業を立ち上げる」という極めて険しい道でした。讃岐うどん好きだった妻の勧めもあり、うどん作りの修行を決意した條辺氏が門を叩いたのが、香川県高松市にある創業70年以上の老舗「中西うどん」です。
当時の様子について、條辺氏は過去のスポーツ紙の回顧取材で「プロ野球選手だったプライドは最初の日にすべて捨て去りました」と明かしています。中西うどんでは、朝4時からの麺打ち、重い粉袋の運搬、熱湯が沸き立つ大釜の前での連続作業、ひたすらの皿洗いなど、過酷な肉体労働が連日続きました。元プロ野球選手という肩書きは何の役にも立たない世界で、約1年半にわたり厳しい修行を耐え抜き、本場の讃岐うどんの製法・出汁の引き方・オペレーションの真髄を身体に叩き込んだのです。この徹底した泥臭い下積みこそが、18年経った今も崩れない條辺の味の揺るぎない土台となっています。