順風満帆に見えた二人でしたが、2006年夏頃に突如として破局報道が浮上し、翌2007年2月には国分太一自身が囲み取材の場で正式に別離の事実を公表しました。世間を騒然とさせたaikoと国分太一の破局理由とは一体何だったのでしょうか。
会見の場で国分太一は「お互いの仕事が忙しくなる中で、少しずつ心の距離やすれ違いが生まれてしまった」「お互いが前向きに成長していくための選択」と静かに語りました。週刊誌などで取り沙汰された「事務所の反対」や「第三者の介在」といったスキャンダラスな噂に対し、当時の音楽関係者や番組スタッフの証言は一貫して別の本質を指摘しています。
実態としてのaikoと国分太一の破局の真相は、愛が冷めたからではなく、20代後半から30代を迎える時期における「自立したクリエイター同士の心理的境界線」の揺らぎにありました。当時のaikoは次々とヒットチャートの頂点を極め、国民的シンガーソングライターとしての重責を背負い、全生活と感情を楽曲制作に注ぎ込む壮絶な日々を送っていました。一方で国分太一もTOKIOの音楽活動に加え、情報番組の司会やバラエティの単独MCなど多忙の極みに達していました。
互いを深く尊重し、創作の苦しみを知る間柄だからこそ、多忙によるすれ違いを無理に埋めようとすることが互いの表現者としての首を絞めてしまう。8年という歳月を共にした末にたどり着いたのは、憎しみ合っての破滅ではなく、互いの人生と才能を守るための「痛みを伴う合意解散」だったのです。