歴史研究において最も信頼性の高い一次史料の一つが、龍馬自身が残した膨大な書簡です。書簡を精読すると、二人の「関係性と仲」が美談だけで語れるものではなかった実態が見えてきます。
慶応元年(1865年)以降、龍馬の手紙には西郷に対する絶対的な敬意とともに、薩摩藩の強大な軍事力をいかに日本再生のエネルギーに変えるかという戦略的意図が頻繁に登場します。龍馬にとって西郷は、自らが構想する新しい国家モデルを実現するために「最も動かさねばならない最大のピース」でした。
また、西郷隆盛の評価においても、龍馬は単なる仲介者ではなく「国家の大計を語り合える対等な同志」として認識されていました。西郷は周囲に対して「天下に有志は多いが、坂本のように肚(はら)の座った男は滅多にいない」と漏らしたと伝えられており、互いに代えの利かないビジネスパートナーとしての絶大な信頼を寄せていたことが伺えます。