失脚劇の印象が強く残る舛添氏ですが、その経歴を振り返ると、日本の政治史および論壇に確かな足跡を残してきた第一級の実力者であることは間違いありません。東京大学法学部を卒業後、同大助教授として国際政治学を教鞭をとっていた舛添氏は、1980年代後半から『朝まで生テレビ!』や『ビートたけしのTVタックル』に出演。明晰な語り口と鋭い舌鋒で一世を風靡し、タレント学者ブームの先駆者となりました。
2001年に参議院議員選挙で初当選を果たし政界へ転身。2007年には安倍改造内閣で厚生労働大臣に抜擢され、続く福田内閣、麻生内閣でも留任して連続3内閣で厚労相を務め上げました。
厚労相時代には、社会問題化した「消えた年金問題」の解明や、2009年の「新型インフルエンザ(H1N1)対策」において省庁の縦割りを排したトップダウンの危機管理を断行。官僚主導を打破する強いリーダーシップを発揮し、歴代屈指の政策推進力を持つ閣僚として極めて高い内閣支持率の牽引役となりました。
都知事就任後も、待機児童対策の推進や羽田空港の国際線増便に伴う飛行ルート見直し、都市外交の再開など、行政執行能力の高さには定評がありました。それだけに、金銭問題という脇の甘さによってキャリアを中断させた落差は、多くの有権者に強い失望感を与えることとなりました。