多くの人が抱く「なぜ広島だったのか」という疑問に対し、米軍の標的選定委員会が残した公文書や作戦記録からは、冷徹な軍事・政治的判断が浮かび上がってきます。
1945年春から進められた標的選定において、米軍は以下の明確な条件を設定していました。
- 通常空襲を受けていない大都市:原爆の純粋な破壊威力を正確に測定・検証するため、大規模な空爆をあえて控えていた都市が選ばれた。
- 軍事拠点および軍需工場の集中:広島には陸軍第2総軍司令部や宇品港(陸軍の主要補給拠点)が置かれており、西日本の軍事防衛・兵站の中枢であった。
- 地形的な集中度:山に囲まれた平野部に市街地が密集しており、爆風が山肌に反射して破壊効果を最大化できると判断された。
当初の候補地には京都、広島、小倉、新潟などが挙げられていましたが、京都は歴史的・文化的重要性を考慮した陸軍長官スチムソンの強い主張で除外され、最終的に広島が第1目標に確定しました。さらに、対日戦の早期終結という軍事的名目に加え、戦後の世界秩序においてソ連に対する軍事的優位性を誇示するという冷戦のパワーバランスも強く作用していたことが、歴史研究者によって明らかにされています。