神社巡りを楽しむ参拝者の多くが抱く最大の謎が、「なぜ一部の神社には本殿が存在しないのか」という疑問です。この問いを解き明かす鍵は、神社建築の様式が確立する以前、古墳時代以前の古代神道祭祀の経緯に隠されています。
古代の日本列島に暮らした人々にとって、天候を左右し、清らかな湧水をもたらし、獲物や木の実を育む山は、人知を超えた生命力の源泉でした。こうした自然崇拝(アニミズム)の観念から、山そのものを神霊が鎮座する「神奈備(かんなび)」と呼び、祭祀の対象として畏敬の念を捧げたのが神体山の始まりです。
神社関係者や宗教学の学術調査によると、原初の神道には常設の建物(社殿)は存在しませんでした。祭りのたびに、神が降臨する目印となる巨石「磐座(いわくら)」や、神域を区切る境界石「磐境(いわさか)」を山中に設け、祝詞を奏上して神を招き、祭祀が終われば神を送り返していたのです。
現在のように豪壮な本殿を建てる「社殿神道」が定着したのは、6世紀の仏教伝来以降のことです。仏像を安置する壮麗な寺院建築に対抗し、神霊を恒久的に留める「御神体」を屋内に祀る形式が普及しました。しかし、奈良の大神神社や滋賀の御上神社(三上山)などは、社殿が生まれる以前の「山そのものを直接拝む」原初の信仰形態をそのまま保存し続けたため、現在に至るまで本殿を持たない構造が維持されているのです。