江戸幕府によって整備された五街道(東海道・中山道・甲州街道・日光街道・奥州街道)に次ぐ重要な脇街道として位置づけられたのが、通称「水戸街道」、幕府の公称では「水戸道中」と呼ばれる幹線路です。水戸徳川家は参勤交代の義務を負わない「定府(じょうふ)」の大名であり、常に江戸に詰めて将軍を補佐する立場にありました。そのため、藩主自身が頻繁に街道を行き交うことは少なかったものの、藩領の水戸と江戸を緊急時に最短日数で結ぶ連絡路として、極めて厳格な管理下に置かれていました。
街道の起点となるのは、日光街道の初宿でもある千住宿(現在の東京都足立区)です。ここから東へ分岐し、中川を渡って葛飾の新宿(にいじゅく)を経て、江戸川を越えて下総国(千葉県)、常陸国(茨城県)へと抜けていきました。幕府は江戸防衛の観点から金町や松戸の渡し場を厳重に監視し、軍事的な防衛線としてもこの街道を重視したのです。
当時の移動は、健脚な武士や飛脚であれば2泊3日、一般の旅人であれば3泊4日程度を要しました。水戸藩第9代藩主・徳川斉昭や、最後の将軍となった徳川慶喜の弟・昭武など、幕末の歴史を動かした重要人物たちもこの道を駆け抜けており、街道全体が近代日本の夜明けを見つめてきた歴史の舞台といえます。