日本中が彼女の歌声に酔いしれていた1986年、八神純子は突如として拠点をアメリカ・ロサンゼルスへと移しました。当時の一部メディアでは「日本の芸能界に疲弊した」「電撃引退か」といったセンセーショナルな見出しが躍りましたが、その決断の根底には「1人の人間として、そして音楽家として本物の自立を果たしたい」という強い意志がありました。
当時のインタビューや後年の手記において、彼女は過密を極めたスケジュールの中で「歌う機械になってしまうのではないか」という強い危機感を抱いていたことを明かしています。常にヒットチャートを意識し、消費されていくサイクルから一度距離を置き、純粋に本場の音楽理論やカルチャーを学び直したいという情熱が彼女を渡米へと駆り立てました。
移住後、イギリス出身の敏腕音楽プロデューサーであるジョン・スタンレー(John Stanley)氏と出会い結婚。現地では「ジューン・スタンレー(June Stanley)」名義での音楽制作も行いながら、長女エマさんと長男ノアさんという2人の子供に恵まれました。
アメリカでの生活において、彼女は何よりも「母親としての時間」を最優先に位置付けました。毎朝の手作り弁当作りや学校の送迎、地域コミュニティでの交流など、日本のスター歌手としての看板を完全に下ろし、1人の生活者として地に足をつけた暮らしを徹底したのです。後年、彼女は「あのとき子育てと家庭に全力を注いだ時間があったからこそ、人間としての幅が広がり、再びマイクを握ったときに歌に深い魂を込められるようになった」と語っています。