麻布十番の地を訪れる蕎麦好きを必ず悩ませるのが、「総本家更科堀井」「永坂更科 布屋太兵衛」「麻布永坂 更科本店」の鼎立です。ネットの掲示板やSNSでは「商標を巡る骨肉の争いがあったのでは」といった憶測が散見されますが、社史や当時の飲食業界誌の取材記録を紐解くと、そこには昭和初期の金融恐慌と戦争に翻弄された老舗の苦闘のドラマが存在します。
寛政元年(1789年)、信州の織物商であった初代・布屋太兵衛(堀井清右衛門)が、領主である保科家の知遇を得て麻布永坂に「信州更科蕎麦処 布屋太兵衛」を開いたのが更科の起源です。大名屋敷や寺院、宮内省御用達として繁栄を極めたものの、昭和初期の世界恐慌や昭和金融恐慌のあおりを受け、7代目当主の時代に多額の負債を抱えて一時休業に追い込まれます。
その後、更科の暖簾と歴史を守るために立ち上がったのが、店のファンであった政財界の実業家や支援者たちでした。この再建プロセスにおいて、商標を買い取って企業組織として発展させたのが現在の「永坂更科 布屋太兵衛」、創業家の血脈を受け継ぎつつ戦後に暖簾を復活させたのが「総本家更科堀井」、そして旧支店系統から独立して伝統を守り続けたのが「麻布永坂 更科本店」です。法的な係争や対立ではなく、老舗の味を絶やすまいと各勢力が時代を生き抜いた結果が、現在の「麻布十番の3店」という豊かな食文化の共存につながっています。