東京の食を体系的に理解するためには、18世紀初頭、世界屈指の100万人都市へと膨れ上がった江戸の都市構造を紐解く必要があります。参勤交代により単身赴任の男性武士が集まり、町人や職人がひしめき合っていた江戸の町では、「すぐに食べられて腹にたまる」屋台料理が急速に発達しました。
江戸前寿司老舗が受け継ぐ「仕事」の意味
現在の握り寿司は、文政年間(1818〜1830年)に華屋与兵衛らが屋台で売り出したのが嚆矢(こうし)とされています。当時は冷蔵技術がなかったため、東京湾(江戸前)で獲れた新鮮な魚介を、酢締め、醤油漬け(ヅケ)、煮物(穴子など)といった保存と旨味の凝縮を兼ねた「仕事」を施して提供していました。今も銀座や日本橋の江戸前寿司老舗が守り続けるこの仕込みの精神こそが、東京の食の原点です。
駄菓子屋の片隅から世界へ飛び出した「月島もんじゃ焼き」
一方、下町の代表格である月島もんじゃ焼きは、明治から大正にかけての物資不足の時代に、下町の駄菓子屋で子どもたちにお腹いっぱい食べさせようと考案された「文字焼き」がルーツです。鉄板の上に小麦粉を溶いた汁で文字を書きながら子どもに言葉を教えたという心温まる逸話が残されています。
月島西仲通り商店街(通称:もんじゃストリート)振興会の関係者は取材に対し、「現在では60軒以上の専門店が軒を連ねていますが、基本となる出汁の配合やキャベツの刻み幅には各店80年以上の蓄積がある。ただ鉄板で焼くだけの料理ではないんです」と語ります。ヘラ(ハガシ)で押し付け、焦げ目(おこげ)の香ばしさを楽しむ独特の作法は、現在では外国人観光客からも高い支持を集めるインタラクティブな食体験として定着しています。