神子畑選鉱場跡を初めて訪れる人が息をのむのは、山の斜面(傾斜角約30度、高低差約100メートル)に沿って22段にも及ぶ巨大なコンクリートのひな壇が連なる壮大な景観です。かつてはこのコンクリートの基礎の上に、何重ものトタン屋根や木造・鉄骨の巨大建屋(上屋)が階段状に覆い被さり、内部には選鉱機、破砕機、浮遊選鉱装置などの重機が所狭しと並んでいました。
神子畑選鉱場がその役割を終えたのは1987年(昭和62年)のことです。供給元であった明延鉱山(養父市)がプラザ合意後の急激な円高と国際的なスズ市況の暴落を受けて閉山に追い込まれたため、選鉱場も同時に操業を停止しました。
閉山後、巨大な建屋はそのまま残されていましたが、年月の経過とともに急速に風化が進みました。2000年代初頭には豪雪や2004年の台風23号による深刻な被害を受け、木造部分の腐食とトタン屋根の大規模な剥落、鉄骨の歪みが発生。敷地外への飛散や大規模倒壊の危険性が極めて高くなったことから、当時の所有企業や関係自治体による協議の結果、2004年(平成16年)秋から段階的に上屋の解体工事が断行されました。
当時の解体決定に対しては産業考古学ファンや地元住民から保存を求める声も上がりましたが、耐震強度の不足と莫大な維持管理コストの観点から完全保存は困難と判断されました。しかし、山の斜面を固めていた強固なコンクリート基礎や、鉱泥を比重分離するための巨大な円形プール「シックナー」は撤去を免れ、現在の「古代遺跡」のような風格ある姿として歴史を後世に伝えることになったのです。