彼が目指したのは、流派や団体の枠に縛られない「開かれた場」の創出だった。かつて派閥の壁が存在した日本落語協会や他団体との垣根を越え、合同プロデュース公演やフェスティバルを次々と企画。伝統芸能業界全体に風穴を開けるアグレッシブな挑戦を続けた。
地方都市での落語会の開催や、若手噺家が流派を超えて切磋琢磨できる舞台の用意など、彼の残した遺産は計り知れない。自らを「プロデューサー」と称し、業界全体の底上げに奔走した姿は、伝統を単なる遺物として守るのではなく、時代の熱量とともに更新し続けるべきだという強いメッセージを残している。