1日40Km歩けたのはなぜ?江戸時代の旅人を支えた持ち物と旅費の真相

1日40Km歩けたのはなぜ?江戸時代の旅人を支えた持ち物と旅費の真相

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厳しい移動制限と関所の監視がありながら、なぜ江戸庶民はこぞって旅へ出たのでしょうか。その最大の錦の御旗となったのが、一生に一度の悲願とされた「お伊勢参り(伊勢神宮参詣)」や金毘羅参りといった社寺参詣です。

幕府も神仏への信仰を理由とする旅は禁止できず、通行手形も比較的容易に下りました。とはいえ、個人の財力だけで旅費を賄うのは困難です。そこで庶民が生み出したのが、地域や職場の仲間でお金を積み立てる金融互助組織「伊勢講(いせこう)」でした。毎年くじ引きを行い、当選した代表者が集まった積立金を手に伊勢へ旅立つ仕組みです。旅人は講の仲間たちの祈願札を預かり、戻ればお札と土産を配ることで、共同体全体が旅の恩恵を分かち合いました。

さらに「抜け参り」と呼ばれる現象も頻発しました。奉公人や丁稚、子供が主人に無断で旅に出ても、お伊勢参りであれば親も主人も咎めてはならないという暗黙の社会通念が存在したのです。沿道の人々も抜け参りの旅人には無償で宿や握り飯を施す「施行(せぎょう)」を行い、金銭を持たない弱者でも伊勢へたどり着くことができました。

しかし、街道の旅はロマンばかりではありませんでした。最大の脅威の一つが「大井川の川止め」です。幕府の防衛政策により架橋や渡し船が禁止されていた大井川では、人足の肩や連台に乗って渡河する必要がありました。大雨で川が増水すると容赦なく「川止め」となり、何日も宿場に足止めされました。滞在が延びれば宿代がかさみ、蓄えが底をついて身ぐるみを剥がされるように無一文になる旅人も後を絶ちませんでした。

また、原則として街道沿いでの「野宿は御法度(禁止)」でした。無宿者や盗賊の横行を防ぐため、日没後に宿場外をうろつく者は不審者として捕縛されるリスクがあったためです。旅人たちは日没前に必ず宿場へ滑り込まねばならず、山峠で日暮れを迎えてしまった場合は、山中の粗末な小屋に法外な銭を払って泊まるか、夜盗や追い剥ぎの恐怖に怯える過酷な夜を過ごすことになったのです。

中村 さくら
著者

中村 さくら

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。