現在私たちが目にする七十二候は、古代中国から直輸入されたものではありません。ここには、日本の天文学の夜明けを告げる壮大な歴史ドラマが横たわっています。
平安時代から室町時代にかけて、日本は中国・唐の時代に作られた「宣明暦(せんみょうれき)」を実に823年間もの間、一度も見直すことなく使い続けていました。その結果、江戸時代初期には天体観測上の日付と実際の太陽運行との間に丸2日以上の致命的なズレが生じていたのです。さらに、宣明暦に付随していた中国の七十二候は、大陸の内陸性気候を前提にしていたため、「虎始交(トラが初めて交尾する)」や「鶱飛(トビが飛び交う)」など、当時の日本には生息しない動物や実態に合わない気象現象が並んでいました。
この不合理に立ち向かったのが、幕府の初代天文方に就任した渋川春海(安井算哲)です。春海は全国各地で天体観測を粘り強く重ね、中国暦の誤りを数学的に立証。日本人の手による日本最初の国産暦「貞享暦(じょうきょうれき)」を1684年に完成させました。
この大改革の際、春海が情熱を注いだもうひとつの偉業が、七十二候を日本の気候風土に合わせて全面的に書き直した『本朝七十二候(ほんちょうしちじゅうにこう)』の制定でした。大陸特有の猛獣を排し、春先には「鴬(ウグイス)が鳴く」「桜が咲く」、秋には「キリギリスが戸口で鳴く」「紅葉が色づく」といった、日本の里山で誰もが肌で感じられる身近な生命の営みへと置き換えたのです。私たちが今、七十二候の言葉に深い郷愁と美しさを覚えるのは、渋川春海をはじめとする先人たちが、この列島の自然を丹念に見つめ直してくれた賜物にほかなりません。