京都・三十三間堂の1001体千手観音像!見どころと歴史の真相

京都・三十三間堂の1001体千手観音像!見どころと歴史の真相

京都・三十三間堂の1001体千手観音像!見どころと歴史の真相の全体像を詳しく解説してご紹介します。

三十三間堂の代名詞とも言えるのが、毎年1月中旬(成人の日の前日など)に行われる「大的全国大会(通し矢)」です。全国から新成人や高段位の弓道家が集い、華やかな振袖姿で矢を射る光景がニュースで広く報じられます。

しかし、三十三間堂 通し矢の由来は単なる祝祭行事ではありません。江戸時代初期、各藩の弓術指南役や藩士たちが武芸の誇りと意地を賭けて競い合った「堂射(どうしゃ)」が起源です。

本堂西側の軒下(長さ約120m、天井高わずか約4.5〜5.5m)という極めて低い空間を、矢を天井や床に当てずに端から端まで射通す過酷な武術でした。夕方から翌日の夕方まで丸一昼夜(24時間)にわたり射続け、通った矢の本数を競う「一昼夜堂射」では、紀州藩の和佐大八郎(わさだいはちろう)が元禄9年(1696年)に記録した「総矢数13,053本中、通し矢8,133本」という大記録が今も破られていません。

現在でも本堂の外廊下の柱や梁を見上げると、当時の武士たちが放った矢が突き刺さった痕跡や傷が多数残されており、命懸けで挑んだ侍たちの激闘の跡を現場で目視確認することができます。

斉藤 蓮
著者

斉藤 蓮

シンプルで洗練された住まいづくりとインテリアコーディネートのアイデアを提案しています。